こんにちはHitouchの「T」です。
@hitouch_life
当サイトには医療従事者の方々に向けた記事を数多く掲載しています。
実際に臨床現場で働く医療スタッフの方々に記事を寄稿していただいて、このサイトは成り立っています。
医療ニュースや論文紹介などは僕自身が執筆していますが、その他は寄稿いただいた記事を僕が編集するという形式で行っています。
そのため、このサイトに『僕自身の考えを書く』という事はありませんでした。
このサイトもいよいよ記事数が100記事を超えます。
その記念といってはなんですが、僕自身が『医療』という業界に対して思うことを書いてみようと思います。
この記事は、個人や個別の団体を否定するものではありませんが、もしも、万が一、気分を害される方がいらっしゃいましたら本当に申し訳ありません。
あくまでも、僕の目にうつる、病院という組織の在り方に対して思うことです。
Contents
病院は会社なのか?
病院という組織は会社なのでしょうか?
『当院においては・・・』
『貴院ではどのように?』
病院のことを『弊社』とか『御社』とかいう人はいませんよね?
医療スタッフが病院に『仕事に行く』ことをなんていいますか?
ほとんどの医療従事者が『出勤』って言うはずです。
『出社』ではないですよね。
では、病院に雇用されている医療スタッフって一体『なんなの』でしょう?
医療従事者はサラリーマン?OL?会社員?
医療スタッフってサラリーマンですか?
OLですか?
起業家ですか?
個人事業主ですか?
会社員ですか?
なんなのでしょう?
僕は病院で働いていましたが、今は臨床現場から一歩離れています。
病院という組織を俯瞰できるようになると、いろいろと見えるものがあります。
僕が一番思うことは・・・
医療従事者は会社員であって会社員ではないということです。
辞書で調べてみると、サラリーマンという言葉には『給料で生活する人。月給取り。勤め人。』という意味があるらしいです。
ということは、給料で働いている医療スタッフも、サラリーマンでありOLです。
しかし!!!
『会社員』ではなく『専門職』というらしいです。
サラリー(給料)をもらって働くサラリーマンなんだけど、会社員ではない・・・
そんな専門職が集まる職場だからこそ、病院は会社であって会社ではない。
そんなところでしょうか。
なんだかややこしいですよね。
病院って儲ける必要あるの?
医療ドラマに出てくる、『銭ゲバ院長』的な人って本当に存在するのでしょうか?
箱の底に札束が入ったお菓子を渡すと手術がしてもらえる、みたいなことってあるのでしょうか?
医療は聖域である
かつて医療は『聖域』でした。
特殊な知識や技能が必要で、ごくごく限られた人しかその情報にはアクセスできない。
そんな閉ざされた領域でした。
他者の侵入を拒み、限られた人だけがその知識を使うことができる。
その知識の恩恵を受けるためには、対価を払う必要があり、その『価格』というのは、限られた人にしか設定できないものでした。
本当にその検査は必要なのか?
本当にその薬は必要なのか?
本当にそれだけの値段が妥当なのか?
知識がない人にとっては、黙って対価を支払うしかありません。
見事に『聖域』の出来上がりです。
聖域に君臨する人々は『先生』と呼ばれます。
限られた人にしか手に入れられない知識を持つ『先生』です。
その『先生』が集まっているのが病院です。
患者はお金を払って『先生』に診察してもらいます。
患者は「診察していただいてありがとうございます」と言います。
お金を払っているのは患者なのに。
一流シェフの料理を食べて「ありがとうございます」って言いますか?
「ごちそうさまです」ですよね。
「ありがとうございます、またいらしてください」というのはシェフのセリフです。
ここに『なんか変だな』と思うところがあります。
かつて医療の知識は神聖なものでした。
今は2018年です。
インターネットがあるじゃないですか。
スマートフォンがあるじゃないですか。
既に医療の知識は限られた人だけが手にできるものではありません。
もはや医療は聖域でもなんでもありません。
AIが診断できる時代です。
誰でもその情報にアクセスできます。
病院は儲ける必要がある!?
聖域ではなくなってしまった医療の世界・・・
診断や検査結果、料金システムまでもがオープンなものになっていきます。
今までと同じやり方では成立しません。
患者はお金を払って『聖域の先生』に診察してもらう必要はありません。
医療機関を自分で選ぶことができます。
『聖域の先生』の言うことに盲信する必要はなくなりました。
あなたのすぐ隣に『グーグル先生』がいます。
SNSがあれば、『箱の下に札束が入ったお菓子』がなくても診察してくれるスペシャリストを探すことだってできます。
既に病院は聖域ではないのです。
信者たちがお金を差し出してくれる時代ではありません。
『儲けるために頭をつかう』必要が出てきました。
病院をその場所に存続し、地域医療を担い続けるためには、病院は“ある程度”儲けなくてはいけません。
儲けるという言葉を使うと、倫理との兼ね合いでジレンマが生じます。
しかし、儲けを出して、その場所に病院を存続し続けることもまた倫理です。
聖域に残された『先生』は変われるか?
かつて聖域だった場所に残された『先生』達・・・
お金と感謝を同時にもらえていた時代は既に過去です。
・・・
「数ある中から当院を選んでくれてありがとうございました」
患者「先生方の治療に満足しています、こちらこそありがとうございました」
・・・
かつては聖域の先生だった人達が、「選んでくれてありがとう」という言葉をかけねばならない時代です。
2018年です。
平成が終わります。
無人のタクシーが町を走っています。
民間人が月に行ける時代です。
そんな時代に、聖域の先生達はどうなるのでしょう?
・・・
彼ら・・・
彼女らは・・・
もしかすると・・・
先生ではなく、サラリーマンになるの“かも”しれません。
先生を先生にするのは生徒の存在である
先生が先生であるためには、生徒の存在が必要不可欠です。
先生だらけの世界では、先生の優越性がありません。
では、病院における生徒とは誰でしょう?
誰が先生を先生にしているのでしょう?
先生以外の全ての人が、先生を先生としているのです。
生徒がいなくなれば先生は先生ではなくなります。
先生が先生でなくなれば・・・
もっともっともっと、聖域は開かれます。
聖域が開かれて恩恵をうけるのは誰だと思いますか?
先生ですよ。
聖域が開かれて恩恵をうけるのは先生です。
新しい世界を知ることができます。
そこには今まで味わったことのない、挫折や苦悩があるのかもしれません。
しかし、そこで得た知識や技術は、医療を劇的に進化させるはずです。
AIではなくあなたに診てもらいたい。
そんな『先生』を創るためには、生徒が変わらねばいけません。
病院における先生とは誰でしょう?
僕は『医師』を先生と定義しているわけではありません。
かつての聖域に住んでいた人々全てが『先生』です。
僕が病院という組織に対して思うこと・・・
それは『危機感の欠如』です。
先日ひさしぶりに、以前の勤務先の病院を訪れる機会がありました。
働いていた頃は当たり前だと思っていたことが、今ではおかしく感じます。
一歩外から見た病院は、まるで、井戸の中のカエルさん達の集まりです。
とある病院では、人件費を抑えるために、看護助手の人数を削ろうとしているそうです。
本気で節約したいならもっと削れるところあるんじゃない?
節約のためには、電気をこまめに消すのも大切ですが、毎月の保険料や家賃、車両にかかる大きな固定費を削る事が重要です。
本気で節約したければ、生活水準を下げる覚悟や我慢が必要です。
本気で節約したいならね!!
昔テレビで見た、パテック・フィリップの時計をはめて、ジャガーに乗って、昼間からビンテージのワインを飲みながら、節約のためだと冷蔵庫を高速で開け閉めしていた『美魔女』を思い出しました。
彼女は節約をしているといっていましたが、おそらく本気で節約するつもりはありません。
病院もそんな美魔女のような状態になっていませんか?
本当に困っているのなら、真剣に考えなければならないことがあるはずです。
そこはもう聖域ではないのだから・・・
Sincerely,
Hitouch「T」
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